ました。
台風一過と言いますが、一晩経ち朝がきますと、あれほど荒れていたマリアナの海も静かになりました。回りには、人も僚船の影も見えません。だれか来ないかな、だれも来ないなあと、ぼんやり浮いていたのです。
シイラ(魚)が寄ってきて、体をつつきますが、追っ払う力もありません。その晩も悲しく暮れ、夜明けの四時ごろにトントントントンという音を聞いたのです。ああ船だ。しかし、力はほとんどなくなっており、やっと手を上げて「オーイ」と言っても声がでません。
そのうち、船が見付け「おーいいたぞ。こっちだ」と近づき、どんと引き上げられ、デッキに寝かされました。魚倉には、死体が詰まっていると教えられました。
疲れ果てて、私はその場で二時間余り寝だそうです。その間に、船は油がなくなり、戸田へ帰ろうということになり、戸田へ向けて走っていたのです。
*****
「船長はどこにいますか」
「ブリッジで舵をとっている」
「ああそうですか」
青年は船橋へ上がりました。
「船長さん。助けていただいてありがとうございました」
「そんなことは……、海の人間はみんな助け合わなきゃな。どうしたんだ。何か用か」
「ええ、すみませんけれども、私を救ってくださった所へ、もう一度帰っていただけませんか」
「何を言っとるんだ君は、命が助かっただけでも喜べ」
「喜んでおります」
「何かそこにあるのか」
「あの、私を助けてくれました木切れがありまして、それを忘れてきましたので、取りにいきたいのです」
「だめだ。命が助かっただけでもありがたいと思え」
「そうは思いますが、どうしても木切れがほしいのです。うちに持って帰って神棚に供え、生涯拝もうと思っているのです」
「結構なことだけどな、この船も燃料がないのだよ。お前を引き上げてから三時間以上も経っているのだ」
でもその青年は、船長の足にまとわりついて
「お願いですから、ぼくの木切れを取りに行ってほしい……」
「お前、そこでせいぜい泣いておれ。そんな物を取りに行ってる間にまた災難が起こるぞ」

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海に神は存在した
四時間経ちました。さすがに船長は海の男です。
「お前にわしは負けた。えらい奴だ。幾つだ」
「十六です」
「十六にしては、えらくできている。いま戸田へ電話して、船で油を持って来いと言った。しようがないから、さっきお前を乗せた所まで帰るか。往復で八時間かかるのだぞ。じゃ行ってやろう」
船長は船を回して元の場所に向かいました。海図を見ながら船長は
「お前を見つけたのはこのへんだぞ。気のゆくまで捜せ」
一生懸命捜しました。しかし、そんなものが太平洋で見つかるはずがありません。強力なライトで海上を照らします。それでも見つかりません。そのとき遠くに何となく光るものが見えました。
「船長、あれは何ですか」
「あれは……、おい双眼鏡を持って来い」
「あれはいかだだな」
「一緒に行ってくれませんか」
「よし行こう」
船をいかだに向けて、突き進んで約二十分走りました。
そこには救命いかだの上に、六人の命が待っておりました。
木切れは見つからなかったけれども、六つの命があったのです。
「森繁さん。ぼくね、ほんとに神様はあると思っています」

 

 

 

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